ある世界
その日、私はピラミッドの内部のような場所で3万円を出して金箔を買った。母親へのプレゼントにするためだ。母の喜ぶ顔を早く見たくて自転車を急がせていると、空を白い軽トラが飛んでいくのが見えた。私はその軽トラがどこへ飛んでいくのか追いかけたくなったが、母が心配しているだろうと思い、やめた。というのも、私はお使いの途中でプレゼントを買いに行ったのだが、謎のダンジョンに足を踏み入れてしまい、不覚にも2・3日の間ピラミッドの内部で迷っていたのである。だが、この時私が見に行くのを諦めた軽トラは、私だけでなく地域住民にも深く関係することになるのだった。
町外れの空き地。緑の芝生が広がり、レンガで舗装された小道が古びた建物へと延びている。そこへ、空から一台の軽トラがふわりと降りてきた。車の中には男が3人乗っている。
「やっと着いたね」
「ふわぁ〜、疲れた〜」
「馬鹿野郎、お前らは座ってただけだろうが」
運転していた男は、そう言って他の2人をこずいた。
「いてっ、でも兄ちゃん、俺免許持ってねぇんだもん」
「んなこた、分かってるよ」
「兄ちゃん、帰りは俺が代わるからさ」
「当たり前だっ、コイツはともかくお前は免許持ってんだからな」
会話の内容からして、この3人は兄弟らしい。
「ところで兄ちゃん、俺達これから何をしたらいいんだい?」
末の弟らしき男が、運転していた男(おそらく長男だろう)に尋ねた。
「おう、まずはこの町のシンボルであるタイルのモニュメントを破壊して俺達の力を住民に知らしめる。そしてこの町を支配し、ゆくゆくはここに俺達の城を築くんだ」
長男は自信に溢れた表情でそれに答えた。
「いいねぇ」
「すげぇっ、さすが兄ちゃん」
弟2人が賛同する。
「お前はまず、あそこにあるブサイクなクマのモニュメントをぶっ壊して来るんだ。俺達は他のを壊しに行ってくる」
「分かった。壊すくらい簡単だ。俺にも出来るよ」
指示を受けた末の弟が、やる気満々といった感じで車を降りる。
「おい、ヘマするなよ。お前は、あのクマをぶっ壊す事だけ考えてりゃ良い。何か起こっても、何も起きてねぇみてぇに冷静でいるんだ」
いつも失敗しているのだろうか。長男は弟に念を押した。
「分かってるって。心配しなくても俺1人でちゃんとやれる。…だから絶対、俺が2人んとこ行くまで手を貸しに来ちゃダメだかんね」
バタンとドアを閉め、遠ざかる車に手を振った。
「しっかりやれよ」
2番目の兄の励ましの言葉が、風に乗ってかすかに聞こえた。誰もいなくなった空き地。しばらくの間、兄達の乗った車が去っていった方向をじっと見つめていた弟だったが、やがてこれから破壊する目標へとゆっくり視線を移し、脇の小道を歩いていった。
(確かに俺は馬鹿だし、よく失敗する。だけど、今日は違う。壊すだけだ。俺にも出来る。俺1人でちゃんとやれる。俺ならやれる俺ならやれる俺ならやれる。兄ちゃん達がいなくたって、俺1人でやれるんだ!)
あれこれ考えている間に目的地に到着していた。パステル調のピンクや水色のタイルで装飾されたクマのモニュメントは、お世辞にも可愛いとはいえないデザインだった。
(これをぶっ壊せばいいんだな。まぁ、俺が超スピードでぶつかれば簡単に壊れるだろう)
どこからぶつかれば上手く壊れるかを考えながらモニュメントの周りを歩いていると、いつの間にか側に1人の男が立っていた。フードを深く被っていて、顔がよく見えない。だが、杖を持っているところから判断するに、魔法使いだろう。早くも自分達のやろうとしている事に気付いたのだろうかと不安になったが、そんな筈は無い。何しろこの計画はさっき聞いたばかりなのだから。ただモニュメントの周りを見て回っただけで、気付かれるわけがないのだ。だから俺は兄ちゃんの言いつけ通り、その男を無視する事にした。
「あなた、強いですね?」
男が口を開いた。
「あなたはかなり強い。そうでしょう?そうなんでしょう?何故黙っているんですか?何か言いたくない事でもあるんですか?何か話せない理由でもあるんですか?何か話してはいけないような事をしようとしているんですか?そうなんですね?あなたは恐らくこれからそのモニュメントを破壊しようとしているのでしょう?違いますか?まぁ、そのモニュメントはこの町の要。この町の平和を維持する為の魔力がそこに詰まっているわけですからね。それを破壊すれば、この町の秩序は簡単に崩れる。しかし、それゆえ頑丈に出来ているのですよ。だから、そのモニュメントを壊すには、普通の力では無理なのです。今、私は強く感じていますよ。あなたが普通の人間ではないということを」
そこまで一気に喋ると、男は再び沈黙した。
(何なんだ、こいつ。気持ち悪ぃ)
フードのせいで表情は分からないが、熱っぽい早口の話し方からして、男はかなり興奮しているようだった。
(殺してやろうか…)
一瞬、弟の目が殺気を帯びる。ちらりと漏れた凄まじい殺気に男はたじろいだ。表情は強ばり、ガチガチと歯を鳴らして震えている。
「ひぃっ…あ…がっ……ぐぅ」
男が口にする言葉はもはや言葉になっていない。弟は、はっと我に返った。
(さっき兄ちゃんに言われたばっかじゃねぇか。熱くなっちゃダメだ…!)
そう自分に言い聞かせて、弟はまたモニュメントを観察し始めた。そして、よさそうな位置を見つけると、その場にしゃがみこんだ。次の瞬間、凄まじい音と共にモニュメントが弾け飛ぶ。普通の人間ならば、その影すらも見えなかっただろう。今の一瞬に、弟はモニュメントに向かって体当たりしたのだ。何を馬鹿なと思うだろうが、弟は自分の動くスピードを自在にコントロールできる。つまり、破壊力は速度の2乗に比例して大きくなり、爆発的な力を生む。
「ほらな、1発だ!」
自分の一撃によって完全に破壊され、今や瓦礫と化したモニュメントを見て、弟は胸を張った。だが、その時視界の端を何かが横切った。さっきの変な男だ。男は被っていたフードを脱ぎ、顔を見せた。男の顔は、鎌髭を生やした石田純一にそっくりだった。
「感謝しますよ。あなたのおかげです。私の力では、このモニュメントは壊せなかった」
そう言うと、男は瓦礫の下から何か光るものを取り出した。キラキラと輝くそれは、魔力の塊だった。
「ククククッ、これで私は大賢者だ。世界は私のものだ!」
「…それはどうかな?」
突然現れたのは、服も髪の毛も真っ白のおじいさんだった。
「サルマン!?どういうことだ!!」
男は明らかに動揺していた。
「お前のような馬鹿の考えることは読めているということだ」
白い老人は淡々と言った。
「なっ、何だと!?うわあああぁぁぁっ!!」
反論はすぐに悲鳴へと変わった。男の身体がシュルシュルと球の中に吸い込まれている。
「助けてくれえっ!!」
男の絶叫が響く。しかし、老人は何も答えず、男が消えていくのを静かに見ていた。男が完全に球の中へと消えると、辺りは静寂に包まれた。弟は、この老人が敵なのか味方なのかも分かれず、ただ立ち尽くしていた。これからどうするべきか頭を悩ませていると、ふいに老人が動いた。一瞬身構えるが、その必要はなかった。老人はさっきの球を拾い上げ、弟の方に向かってきた。
「これはお前にやろう」
そう言って、球を弟に渡した。最初に見たときよりも強く光っている。手の中に太陽を持っているようだった。
「おい、じいさん」
「何だ?」
「大事な球を俺みたいなのに渡しちまって良いのかよ。さっきのおっさんみてぇに、この球使おうとするかも知れねぇぜ?」
(まぁ、使い方なんて知らねぇけど)
弟は、わざと不敵に笑ってみせた。老人は黙っている。どこを見ているのか分からなかった。
「…なんか言えよ」
「その時は、お前を殺すだけだ」
白い老人はやはり淡々と答え、消えていった。弟は、もう1度手の中の球を見つめた。遠くから聞きなれたエンジン音が近付いてくるのが分かる。弟は、球をズボンのポケットに入れると、兄達の乗った軽トラに向かって駆けていった。
「遅いよ、兄ちゃ〜ん」
「悪い悪い。で、うまくやれたか?」
「余裕だよ。楽勝過ぎて、兄ちゃん達が来るまで暇で暇でしょうがなかったよ〜」
「そうか」
そんな会話をしながら、車に乗り込む。
「あ、入道雲」
3人の乗った車が静かに浮き上がる。白い車体は太陽の光を反射しながら、青い青い空へと消えていった。
完 |