ほどく人
何もない、静かな町。 当たり前の事しかない、普通の町。 この町には、過去も、未来も、あてもない。 いつまでもくり返される。
かしゃ。かしゃ。 僕は、知恵の輪が好きだ。暇さえあれば解いている。 色々な形が集められてできた、銀色のかたまり。 かしゃ。かしゃん。 それは、とてもあっさりと解ける。 編みかけのセーターの端を引っ張って、するするとほどいていく様に。 僕にとっては、知恵の輪を解くことも、セーターをほどくことも、変わらない。 糸の集まりのセーターがほどけるなら、形の集まりの知恵の輪だってほどける。 セーターと知恵の輪は違うよ。なんて言うけど、そんなことはない。 ほどくだけ。集められたものを、元に。一本の糸に戻すと、思えばいい。 僕は、ほどくことが好きだ。 ある日。不思議なことが、ありえないことが。起こった。 僕は、本を読んでいた。本のページをめくる、乾いた音だけが、部屋に響いた。 もしかすると、時間が止まっていて、今動いているのは僕だけなんじゃないか。 そんな想像をしてしまうくらい、静かだった。そして、僕は。本の端からキラキラした細い糸が出ているのに気が付いた。 僕が、糸を引っ張ると、本はぴぃーっとほどけ、上の部分が糸となって、床へと垂れていってしまった。 ページをめくる音の代わりに、「あ」という声が、部屋に響いた。 こうして、自分の不思議なチカラを知った僕は、毎日色んなものをほどいた。 ほどくことが、楽しい。 時計、カーテン、電話、どんどんほどいていった。 いす、机、ラジカセ、どんどんほどけていった。 数日経つと、僕の部屋は糸でいっぱいになっていた。 あの日から、学校にも行っていない。部屋にこもって、糸を増やした。 するする、シュルシュル、ぴゅるるる、いろんな音を奏でて、部屋にあった物はほどけていった。 何も無くなった部屋を見て、僕はほどくものを求めて外へ出た。 糸で埋め尽くされた部屋は、ガラリと広く見えた。 僕は、公園へ向かっていた。道を照らす街灯を、一本一本ほどいて歩いた。 何日かぶりに出た、外の世界は真っ暗で、何年かぶりに来た公園に、子供の姿は一人もなかった。 僕は、公園に着くなり遊具をほどいた。 楽しくてしょうがない。
すべり台、ブランコ、鉄棒、どんどんほどいていった。 ほどき終わった時には、空が白んでいた。 遊具の消えた公園を、朝の光が照らした。 光の洪水の中、僕は糸だけが残った公園を後にした。 家へと帰る道の端には、公園へ来る途中にほどいた街灯。 それを見ながら、僕は昔読んだ本の話を思い出していた。 『物を作る人は、作ることしかできない。 作ったものを使うことも、壊すこともできない。 ただ、作り続ける。』 ならば、僕はほどく人だ。 作る人が、作ることしかできないように。ほどくことしかできない。 ほどいたものを、戻せない。 そうだ。僕は、解き終わった知恵の輪を、元に戻したことが無い。 全部、バラバラにして置いたままだ。 ああ、僕はほどく人だ。 全てのものをほどくためだけに、ここにいる。 僕は、自分がほどく人であることを意識した。 その時、ふっとすれ違った人の体から、糸が出ているのが見えた。 僕は、無意識のうちに糸をつかんでいる。 次の瞬間。ほどける。 その人は。ほどけていった。シュルシュルと音を立てながら。 アスファルトの上には、一本の糸。 僕は、家へ帰った。そして。 父をほどいた。 母をほどいた。 指をほどき、手をほどき、腕をほどき、体を、脚をほどき、そして最後に頭をほどいた。するすると、シュルシュルと。 ほどき終わって、糸になった父と母を、糸巻きに巻きつけた。 ゆっくりと、ていねいに、巻きつけた。 大切な人を、自分の手でほどけて、僕は満足した。 二人は、僕を見て悲しんだだろうか。 悪い子だと思われるのは、寂しいけど。それでも僕は、ほどくことを選んだ。 ほどく人になることを、選んだ。 ちょうど巻き終わった時、自分の手から、細い糸が出ていることに。気が付いた。 僕は、迷わない。 作る人は、なぜ物を作り続けるのか。 僕は、答えを知っている。 キラキラした細い糸。きれいな糸。 僕は、僕をほどいていく。 ほどく人は、ただ、ほどき続ける。 ほどいたものを戻さずに。ほどくことしかせずに。 それは。そうできるのは。 ほどくことが、好きだからだ。 何よりも好きなことだから。 こうして、今。 自分で自分をほどいている。 僕は、ほどく人。
何もない、静かな町の終わり。 当たり前の事しかない、普通の町の終わり。 過去も、未来も、あてもない町で。 いつまでもくり返されるのは、終わりだけ。
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