孤独の花

 

 

その日、少年は刺青を入れた。

今までの、平凡でつまらない自分を変えるために。

 

 

とある小さな町に、地味で目立たない少年がいました。

少年は、自分の事が嫌いでした。

ある日、少年は左腕に花の蕾の刺青を入れました。

ただ自分を変えるきっかけが欲しくて入れた刺青でしたが、少年はこの花が気に入りました。

ところが、翌朝少年が左腕を見てみると、刺青はきれいに消えていて、代わりに何かの植物の芽が腕から生えていました。

少年は驚き、その日は学校を休みました。

両親にも、本当の事は言えず、風邪だと嘘をつきました。

明日になれば、こんな芽なんて消えているさ。

そう自分に言い聞かせて眠りました。

しかし、次の日少年が目を覚ますと、左腕の芽は蕾に成長していました。

少年の入れた刺青と、まったく同じ花の蕾でした。

少年は、怖くなりました。

けれど、少年はこの不気味な花の事を、両親に話すことは出来ませんでした。

勝手に刺青を入れたことが知られて、責められるのが怖かったからです。

日増しに成長していく花を見て、少年はどんどん不安になっていきました。

これから自分はどうなってしまうのか。

このまま放っておいたら、いつかこの花に体をのっとられてしまうのではないか。

不安は大きくなる一方でした。

そして。

ついに花が開きました。

大きくて、赤い花です。

今までに、見たことのない花でした。

分厚い図鑑で調べても、この花は載っていませんでした。

少年が探すのを諦めて、ベッドから立ち上がろうとした時、足の裏に妙な違和感を感じました。

見てみると、足から根っこが生えていました。

少年の体にある養分だけでは足りず、花が大地に根を張ろうとしているのです。

少年はこれを見て、もう家には居られないことを悟りました。

その日の深夜、少年は家を出ました。

どこか、人の来ない場所を求めて。

少年は、ある場所に向かっていました。

それは、何十年か前に伝染病で家の人全員が亡くなってから、立ち入り禁止になっている洋館でした。

ここに近付く人は誰もいません。

少年は、壊れたフェンスの間から、敷地内へ入りました。

屋敷の中庭には、古びた温室がありました。

中にベンチが見えたので、少年は、そこに座って休むことにしました。

少年がベンチに座ると、花はすぐ地面に根を張りました。

少年は、動けなくなってしまいましたが、とても疲れていたので、気になりませんでした。

穴の開いた天井からは、綺麗な星空が見えました。

たくさんの星を眺めながら、少年は深い眠りにつきました。

今も立ち入り禁止のまま残っている洋館には、一年中赤い花が咲いています。

 

 

「それでおしまい?」

「そうだよ。」

僕の隣に座って、ずっと話を聞いていた少女は、少し物足りなさそうな顔をして言った。

「つまらなかった?」

「ううん。」

僕がそう聞くと、少女は艶やかに光る黒髪を軽く振って答えた。

「お兄ちゃんのお話は、いつも面白いの。犬のお話も、魔法使いのお話も、とっても面白かった。でも・・・」

「でも?」

「・・・少し、寂しい。」

「・・・・・・そっか。」

ぽかぽかと暖かい、日曜日の昼下がり。

僕と少女は、温室のベンチに腰掛けていた。

少女は、毎週日曜日になると必ずここへ来た。

僕は、少女が来る度に、色々な話をして聴かせた。

仲の悪い双子の話、穴に落ちた少年の話。

なぜ、僕が少女相手にこんな事をし始めたのかというと。

きっかけは、近所の少年の投げたボールだった。

 

いつもの様に、温室のベンチでうとうととまどろんでいた僕は、足元に落ちてきたボールに気が付いた。

温室の天井は穴だらけだから、多分そこから入ったのだろうな。

そう思いながら、拾い上げたところへ、少女がやって来た。

心優しいこの少女は、立ち入り禁止の屋敷へ入ることを躊躇っていた少年に代わって、ボールを取りに来たのだった。

これが僕らの出会い。

一度きり、最初で最後の邂逅。

の、つもりだったのだが。

次の日曜日、少女はやって来た。

次の日曜日も、さらに次の日曜日にも、少女はやって来た。

毎週日曜日になると、少女はやって来た。

僕らが再会した日曜日。

その日から、この『お話会』は続いている。

 

「そういえば、ここにも赤い花が咲いてるね。」

「そうだね。」

「お兄ちゃんは、いつも髪にその花、挿してるね。」

「変かな?」

「ちっとも!お兄ちゃん、なんだか可愛いよ。」

「可愛いお兄ちゃんは、好きかい?」

「うん。お話するのが上手だから、好き。」

僕と少女は、そんな他愛も無いお喋りをして過ごす。

少女とこうして話していると、時間がとても早く過ぎていくように感じられた。

日曜日以外の時間は、長い。

「ねえ。今日のお話って、このお屋敷の事なの?」

大きな眼をきらりと光らせながら聞いてくる少女。

その好奇心に満ちた瞳は、少女が初めてここにやって来た時と少しも変わらない。

「それは、秘密。」

「どうして?」

「お話には、秘密が必要なんだよ。物語の隠している小さな秘密に、人は惹かれるんだ。」

「それって、素敵ね。」

「さあ。もうすぐ日が暮れるから、家にお帰り。」

「うん。」

赤い靴は去ってゆく。

ところが、途中で靴はステップを踏み、くるりと半回転して。

「また来ても良い?」

いつもはこんな事聞かないのに、この日の少女は聞いてきた。

「・・・・・・。」

僕の答えは。

決まっている。

「勿論。」

「じゃあ、また来週ね。」

「ああ、次の日曜日に。」

 

僕らが会う日はほとんど晴れた。たまに曇りの日もあったけれど、雨は不思議と降らなかった。

日曜日。

雨が降った。

少女は、やって来なかった。

その日、雨は一日中降り続いた。

 

 

十年前、私には大好きな場所がありました。

それは、立ち入り禁止の古い洋館です。

小さい頃の私は、好奇心が強く、その大きなお屋敷が気になってしょうがありませんでした。

好奇心に勝てず、私はお屋敷に入りました。

お屋敷の中庭には温室があり、中に高校生くらいのお兄ちゃんが居ました。

私は、そのお兄ちゃんと仲良くなりました。

日曜日になると、私はお屋敷に出かけました。

私がどんなに早起きしてお屋敷に行っても、お兄ちゃんは温室のベンチに座っていました。

お兄ちゃんは、私にたくさんのお話をしてくれました。

私は、お兄ちゃんのしてくれるお話が、大好きでした。

そして、優しいお兄ちゃんが、大好きでした。

でも、私は急に引っ越す事になったのです。

「また来週ね。」

そうお兄ちゃんと約束したのに、私は行けませんでした。

最後に聞いたのは、花と少年の話。

初めて会った時、お兄ちゃんは、赤い花に囲まれて眠っていました。

あまりにも不思議で、あまりにも綺麗な光景だったので、もしかするとあれは夢だったんじゃないかと、今でも思うことがあります。

けれど、赤い花に囲まれて眠るお兄ちゃんも、お兄ちゃんのお話を楽しみにしながら待った一週間も、最後に聞いた花と少年の話も、約束の日曜日にお屋敷へ行けなかった私も、確かに存在したのです。

私は、十年ぶりに、この町へ帰ってきました。

忘れかけていた大好きな場所のことが、今ははっきりと思い出せました。

次の日曜日、あのお屋敷へ行こう。

お兄ちゃんとの、遅めの約束を果たしに。

 

お屋敷は、無くなっていました。

一ヶ月ほど前に、放火事件があり、全焼したらしいのです。

お屋敷も、思い出の温室も、みんな焼けてしまっていました。

涙が出そうになったのを、何とか堪えました。

ぼろぼろになった、ベンチの前に、お兄ちゃんがいつも着けていた、ペンダントが落ちていました。

そういえば、「僕の生まれた日に、お父さんが作ってくれたものなんだ。僕の誕生日が彫られているんだよ。」と、お兄ちゃんは一度だけ、私に話してくたことがありました。

私は、ペンダントを拾い上げ、煤を落としました。

1989・3・1

私の眼には、百二十年前の日付が映っていた。

 

 

その日、少年は刺青を入れた。

今までの、平凡でつまらない自分を変えるために。

しかし、花の蕾の刺青は、少年の左腕から抜け出し、本物の花を咲かせたのです。

花はどんどん成長していき、ついに少年の体は、花のものになってしまいました。

少年は、誰にも見つからないように、古い洋館に身を隠しました。

ここで死ぬつもりだったのです。

ところが、花は大地に根を張り、少年を若いまま生かし続けました。

百年以上の間。

孤独。

辛すぎる時間。

けれど、少年には話し相手が出来ました。

話し相手のいた数ヶ月間、少年は幸せでした。

でも、その人はある日突然いなくなってしまいました。

少年は、待ちました。

その人との約束を信じて。

一年、二年、五年、十年。

ずっと、ずっと、待っていたのです。

待ち続けた少年は、その人に会う前に、炎に焼かれました。

そして。

 

 

百二十年という月日など、私には想像もつかない。

それだけの時間を、一人で過ごすということも。

どれほどの孤独だったのか。

私は、そんな人をずっと待たせてしまった。

また、独りにしてしまった。

動けないあの人は、炎に焼かれたことだろう。

私は、ペンダントを握り締め、焼けた地面にうずくまった。

すると、瓦礫の下から。

赤い花。

お兄ちゃんの花。

私は、溢れてくる涙を飲み込み。

「遅くなって、ごめんね。もう独りじゃないよ。」

そう、小さく呟いた。

 

 

そして。

赤い花に生まれ変わった少年は、大切な人と会う事が出来たのです。

約束は守られ、ようやく、少年は孤独から解放されたのでした。

 

 

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